ボタンテキスト今帰仁城とは沖縄本島北部、沖縄県国頭群今帰仁村にある城跡です。ナキジングスク、あるいはホクザングスクとも呼ばれ、国の史跡です。2000年10月に首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
今帰仁城がいつ築かれたか正確な時期は現在のところ不明です。このグスクが最初に登場するのは琉球王国成立以前の14世紀、中国の歴史書です。ここに琉球国山北王として三人の王が登場します。このころの沖縄本島は北部を北山、中部を中山、南部を南山がそれぞれ支配していました。
今帰仁城はそのうちの北山王の居城で、中国と貿易をおこなっていました。しかし、1416年中山の王尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史は幕を下ろします。北山を滅ぼした後、中山の王は北部地域の管理として堅守を設置し、1422年以降今帰仁城は堅守の居城になりました。1609年、薩摩軍が琉球を侵攻し今帰仁城は炎上します。その後、堅守は首里に引き上げ、誰も住まなくなった今帰仁城は御嶽として、精神のよりどころへと変わっていきます。広く崇拝を受け、琉球全域から参拝者が訪れました。
今帰仁城跡は今帰仁城跡公園として整備されており、年中無休で午前8時から午後6時(最終入場時間)まで開園しています。季節により開園の延長があります。入場料は大人400円、小中高生は300円、小学生未満は無料です。10人以上の団体であれば、大人320円、小中高生は240円です。アクセスにはバスが利用でき、本部循環線今帰仁村字今泊今帰仁城跡入口で下車し、徒歩15分です。
城域は南北350m、東西800mに及び沖縄県内最大級のグスクです。平郎門は今帰仁城の正門で、現在の門は1962年に修復されたものです。左右に狭間があり、門の天井には大きな一枚岩を載せた堅牢なつくりとなっています。平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをカーザフといい、両側は切り立った谷底になっています。
平郎門を通り抜けて大庭に向かい左側のところを大隅と呼び、ここはかつて城兵たちの武闘訓練の場であったと想定されており、大量の馬の骨が発掘されました。
平郎門からまっすぐ伸びた七五三形式の階段を上ると開けた広場に出ます。ここは大庭(ウーミャ)と呼ばれ、南北に御殿があったと推定され、その礎石が残っています。
北殿の北側の一段高いところは御内原と呼ばれ、かつて女官部屋があったところといわれています。
城内でも崇高な場所とされ、男子禁制の御嶽があります。北端からの眺望は城内でも最もよく、晴れた日には遠く与論島まで望めます。大庭の東端にある一段高くなったところが主郭です。多くの礎石が現存し、建物の姿が想像できます。
1982年から4年間の発掘調査によって、ここが13世紀末から17世紀初頭まで機能していたことがわかりました。